前回の動画とブログ記事についてカウンセリング的に考察いたします。
前回の内容は、34年間にわたる自身の無償の家事労働を夫に「気楽なもの」と否定された60代の妻が、最終的に熟年離婚を決意するまでの心の軌跡を綴ったものです。
定年退職した夫の存在が重荷となる中で、妻は自分の長年の労働が当たり前として感謝も評価もされない現実に直面し、家事労働の真の価値の再定義を試みます。
娘の励ましを受け、家事代行サービスという「見えない労働」を「専門性」として社会に認められる新たな職を見つけた彼女は、
初めて得た給与と生きる喜びを胸に、離婚届を「34年分の給与明細」として夫に突きつけ、新しい人生へと踏み出していく勇気ある自立の物語がテーマとなっています。
このお話では、「熟年離婚」が最終的な解決になりましたが、本来、夫婦は助け合い、協力しあい、高め合い、幸せに人生を共に歩んでいければいいですね。
なぜそうならず、「熟年離婚」になってしまうのかを家事労働の価値というテーマで考えてみたいと思います。
あなたの家庭は大丈夫?ある60代女性の決断から学ぶ「見えない労働」の重み
前回の物語は、34年間の結婚生活の末、60代の主人公が離婚を決意する物語です。
彼女を長年支え続けてきた献身は、定年退職した夫からの一言で、脆くも崩れ去りました。
「君はいいよな。気楽なもんだ」
関係を修復不可能な段階へと進める「決定的な一言」になる瞬間です。
この言葉は、彼女が34年間、12410日、約30万時間にわたって家族に捧げてきた労働の価値を、根底から否定するものでした。
この記事は、もしあなたが日々の家事を担っているならば、自身の労働が持つ本来の価値と専門性を再認識する機会となるでしょう。
そして、もしあなたがパートナーの家事に支えられているならば、二人の協力関係をより豊かで持続可能なものにするための、大切なヒントが見つかるはずです。
1. 「見えない労働」とは何か? ~物語から紐解く、当たり前の裏側~
夫婦関係に亀裂を生じさせるこの問題の根源にあるのが、私たちが「見えない労働」と呼ぶ概念です。
物語の家庭は、その構造を紐解く上で、まさに典型的なケーススタディと言えるでしょう。
「当たり前」という名の呪縛
主人公の夫にとって、妻が家事をすることは「息を吸うのと同じくらい『当たり前』」のことでした。
34年間、彼は妻の労働に一度として疑問を抱くことも、感謝の言葉を口にすることもありませんでした。
毎日繰り返される食事の準備、掃除、洗濯…。
それらは感謝されるべき貢献ではなく、ただそこにあるべき「機能」としてしか認識されていなかったのです。
これが「見えない労働」を生み出す第一の側面です。
価値の否定がもたらすもの
この「当たり前」という認識は、ある日、鋭利な刃物となって主人公の心を深く傷つけます。
夫が吐き捨てた言葉は、彼女が捧げてきた人生そのものを否定するものでした。
「君はいいよな。何の心配もせず、俺が稼いだ金で家のことだけやっていればよかったんだから。気楽なもんだ」
この一言は、彼女の中で曖昧だった不満を、「離婚」という明確な選択肢に変える引き金となりました。
30万時間にも及ぶ労働が、「気楽なもの」という言葉で塵のように吹き飛ばされてしまったのです。
なぜ「見えなく」なるのか
では、なぜ家庭内の労働はこれほどまでに見えなくなり、軽視されてしまうのでしょうか。
物語と専門家の分析から、主に2つの背景が浮かび上がります。
金銭的対価の不在
社会では、労働の価値は賃金という形で測られることが一般的です。
しかし、家庭内の労働には給料が発生しません。
そのため、お金を稼ぐ「稼得労働」が優位に置かれ、家事のような「無償労働」は経済的に軽視されがちになります。
「俺が稼いだ金で」という夫の言葉は、この価値観を如実に表しています。
感謝の不在
日々の繰り返しの中で、労働の成果は特別なことではなく「当然の義務」と見なされるようになります。
食事が用意されていること、清潔な服が着られること、整頓された部屋で過ごせること。
その一つひとつが誰かの労働によって支えられているという事実が忘れ去られ、感謝の対象ではなくなってしまうのです。
このように、金銭的な対価も感謝の言葉もない環境で、労働の価値が認められない状況が続くことは、担い手の自尊心と心を静かに、しかし確実に蝕んでいきます。
では、その「見えない労働」は、本当に「気楽なもの」なのでしょうか。
次は、その過酷な実態に光を当てていきます。
2. 「気楽な主婦業」の真実:見過ごされてきた身体的・時間的負担
「気楽な主婦業」という言葉とは裏腹に、家事労働は精神的にも肉体的にも極めて過酷な労働です。
その負担は、愛情や責任感だけでは乗り越えられないほどの重みを持っています。
終わりのない労働
主人公は、自らの労働をこう表現しています。
「まるでシシュフォスの岩のように、誰にも褒められることのない、切りがなく終わりのないことばかり」。
掃除をしてもすぐに汚れ、食事を作っても食べれば消えてしまう。
一つの終わりが次の始まりに直結する永続的なサイクルは、達成感を得にくく、精神的な疲労を蓄積させます。
身体が覚えている負担
家事労働は、決して軽作業ではありません。
長年にわたる身体への負担は、確実に蓄積されていきます。
主人公の証明
物語の中で、主人公はふとこう思います。
「長年の立ち仕事で鈍い痛みを訴える腰を、私はそっと掌でさすった」。
この鈍い痛みこそ、彼女が34年間、誰にも認められることなく続けてきた労働の証でした。
一般的な事実
これは物語の中だけの話ではありません。
台所での長時間の立ち仕事や、掃除・洗濯における中腰での作業は、腰痛や関節痛を引き起こす大きな要因となります。
家事に携わる人々が、慢性的な身体の痛みに悩まされるケースは非常に多いのです。
労働時間の現実
さらに、時間的な負担も深刻です。
主婦の「実動時間」は「下手な会社勤めより多い」場合もあると指摘されています。
休憩時間も明確でなく、家族の都合に振り回されがちな家事労働は、時間的にも極めて拘束の長い仕事なのです。
このように、家事労働は、愛情だけでは乗り越えられないほどの身体的・時間的負担を伴う、専門的な営みなのです。
あなたのパートナーの「いつものこと」に、このような痛みが隠れてはいないでしょうか?
家庭内でこれほど過酷な労働が、一度社会に出るとどのように評価されるのでしょうか。
主人公の新たな挑戦を見ていきましょう。
3. 価値の発見:社会が認めた「主婦」という専門スキル
家庭という閉じた空間で「無価値」とされてきた労働も、社会という市場に出た途端、その本当の価値を現します。
主人公は、離婚準備のために始めた家事代行サービスの仕事を通して、失いかけていた自分自身の価値を再発見します。
社会からの再評価
初めて依頼主の家で仕事をした日。
長年の経験で培われた手際の良さ、汚れやすい場所を先読みする洞察力、使う人の心地よさを考えた繊細な気配り。
それらは、彼女が意識せずとも発揮できる「魔法」でした。
仕事を終えた彼女に、依頼主は心からの感謝を伝えました。
「さすが、プロの仕事ですね」
依頼主は瞳を輝かせ、こう続けたのです。
「自分では気にもしていなかった窓のサッシまでピカピカで…まるで新築のお家みたい!」と。
この心からの感謝と具体的な賞賛は、結婚生活では一度もかけられることのなかった、宝石のように輝く言葉でした。
専門性の証明
この瞬間は、彼女にとって大きな転換点となりました。
家庭内では「当たり前」とされ、誰にも評価されなかった彼女のスキルが、社会ではお金を払ってでも求めるべき「専門性」として認められたのです。
これは、長年の主婦経験が決して「空白の砂漠」ではなく、高度な実践知と技術を蓄積した貴重な時間であったことの証明でした。
対価がもたらす自己肯定感
数日後、彼女は初めての給与明細を手にします。
そこに記された「1時間あたり2500円」という具体的な市場価値。
それは、夫の「気楽なもんだ」という言葉によって粉々に砕かれた自己肯定感を回復させる、何よりの力となりました。
自分の労働が正当な対価を生み、社会の一員として認められたという確信は、「生きる喜び」と「幸福感」をもたらし、彼女を強くしました。
家庭内で「無価値」とされていた労働が、社会では正当に評価され、対価を生む専門スキルであること。
この事実は、私たちに家事労働の価値を根本から見直すことを迫ります。
一方で、その価値に気づかず妻を失った夫は、何を感じていたのでしょうか。
次は、夫の変化を追ってみます。
4. 理解への道のり:夫が初めて知った「家事」の重さ
妻を失って初めて、夫はカウンセリング的な表現では「強制的な役割交代」と呼ぶ、最も痛みを伴い、
しかし、最も効果的な学びに直面することになります。
他者の労働の価値を真に理解する最も確実な方法は、それを自ら体験することなのです。
気づきのきっかけ
娘からの痛烈な一言「お父さんが仕事、仕事って外のことだけ見てられたの、誰のおかげ?お母さんがこの家を全部一人で守ってきたからじゃない」。
この言葉が表現するように、妻の「見えない労働」が、夫の仕事生活を支える不可欠な基盤であったという事実に直面します。
自分の社会的成功が、妻の献身の上に成り立っていたことを、ようやく理解し始めたのです。
身体で学ぶ困難さ
しかし、本当の理解はここからでした。
夫は自ら家事をこなす中で、その過酷さを身体で学んでいきます。
「慣れない手つきで洗濯機を回し」、掃除をすれば「腰を痛め」、家事の膨大さと終わりのなさを実感します。
これは頭での理解ではなく、痛みや疲労を伴う、身体に刻み込まれる学びでした。
本質的な理解
この物語では「熟年離婚」で終わっていますが、最終的に、夫は家事労働の最も本質的な性質を悟ることでしょう。
彼は、妻がいない生活を経験した後、あたりまえの見えない家事労働が、見え始めたことでしょう。
これは、家事が単に大変な作業であるというレベルを超え、その永続的な性質と、それを黙々と続けてきた妻への深い尊敬の念が生まれる瞬間となります。
知的理解ではなく、身体を通して得られたこの本質的な理解こそが、彼の価値観を根本から変えるのです。
最後に、これからの夫婦関係について考えてみましょう。
結論:新たなパートナーシップを築くために
この記事では、ある60代女性の物語を通して、「見えない労働」の問題を紐解いてきました。
家庭内で「当たり前」として軽視されていた労働が、実は過酷な身体的・時間的負担を伴い、社会に出れば経済的価値を持つ専門性の高い仕事であったこと。
そして、その価値は、直接体験することによって初めて真に理解されるということを確認しました。
物語の結末では、「熟年離婚」で終わっていますが、できうれば、伝統的な性別役割分業から脱却し、
互いの貢献を尊重し、協力して家庭を運営していく「尊重と協働に基づく対等なパートナーシップ」へと移行する、という認識をもつきっかけになればと考えます。
男性は外で働いてきたという自負やプライドがあるのが一般的です。
しかし、定年退職したあとは、どうでしょうか?
専業主婦には定年退職がないのです。
定年退職を機に「熟年離婚」という問題が発生しないようにできることはなんでしょう。
この物語は、私たち一人ひとりに問いかけています。
あなたの家庭は、大丈夫ですか?
パートナーの貢献を「当たり前」だと思っていませんか?
もし少しでも心当たりがあるなら、今からでも決して遅くはありません。
新たな関係を築くために、今日からできることがあります。
「ありがとう」を言葉にする
どんなに小さなことでも構いません。
「美味しいね」「きれいにしてくれて助かるよ」など、相手の行動に対して具体的に感謝を伝えましょう。
言葉にすることで、労働は「見える」ようになります。
役割を可視化する
食事の準備、ゴミ出し、子どもの送り迎え、そして夫がその存在すら知らなかった「名もなき家事」まで…。
一度、家庭内のタスクをすべて書き出して、どちらが何を担っているかをお互いに認識してみましょう。
負担の偏りや、見えていなかった仕事に気づくきっかけになります。
体験してみる
夫の価値観を根底から変えたのがそうであったように、最も効果的なのは相手の役割を代わってみることです。
実際に体験することでしか得られない理解と尊敬があります。
何歳からでも、どんな状況からでも、お互いの関係性を見つめ直し、より豊かで幸せな人生を再構築することは可能です。
その第一歩は、すぐ隣にいる大切な人の「見えない労働」に気づき、心からの感謝を伝えることから始まるのかもしれません。
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